空調エンジニア、そのとき(8)

空気調和

 これは、21世紀に入る6~7年先を想定して書いた。その頃の世相、技術はここに書いたものよりさらに先を行っているかもしれない。いや、きっとそうだろう。しかし、現在の日本空調株式会社の姿から、記述のような姿になるには、明日から始めても6~7年は最低かかるであろう。

              決断し、推進し、そして、体験する。いつか誰かが・・。

 「未来の日本空調株式会社の姿はこうしたいな。こうしなければ楽しくないな。」と、私なりの考えをこの短編に織り込みました。100%ではないでしょうが建設業も同業者も多分このなかで示した世界を造って行くでしょう。そのとき、日本空調株式会社はこのような世界を造る余裕はあるのでしょうか。当社を取り巻く環境は決して優しくないし、差別化はさらに加速するでしょう。そのようななかで、戦って勝者になるのに必要なものは何でしょう。私は人のエネルギーだと思います。日本空調株式会社のような施工会社に最新の生産機械は不要です。風格のある本社ビルは不要です。人さえいれば良いのです。そしてその人は、もちろん生きてゆくために食わねばなりませんが、プラス「気概」だと思います。”日本空調株式会社のために、今日より明日の日本空調株式会社を大きくするために ”と、感じている人が多いということを、実はある機会に知りました。しかし、彼らの気概はいつまで続くでしょうか。エネルギーは補給しなければ燃え尽きてしまいます。会社側は彼らが燃えるその先を見せてやらねばなりません。それは「夢」です。「日本空調株式会社の明るい将来の姿」だと思います。将来像を示して着実に実行していることを示すこと、これが彼らの更なるエネルギーを燃やす糧となります。彼らは現在も、ほとんど徒手空拳で頑張っています。彼らに「夢」を知らせ、彼らの身近なところでその「夢の実現」が着実に進行していることを示さねばなりません。

 日本空調株式会社に(明るい)未来を求めるには、トップの決断と、宣言と、熱意の発露が必須と考えます。人に提案を求め、良いと判断したら提案者に少し実施させて様子を見る。この様な姿勢は採るべきではないでしょう。
 今回、多くの提案論文が出ると思いますが、良い!使える!と判断したその提案は、もちろん、本部でのフィージビリティ・スタディ(現実的詳細検討)が不可欠ですが、しかしそれは決断したときからトップのものであり、宣言し、何度も宣言し、熱意を伝え、自らが推進者とならなければ実現はあり得ないと思います。
 君らがやりたまえと言われても、私たちには何の権限もないのですから。

 「・・ねばならぬ。・・かくあるべし。」調の論文調ではないけれど、
     もし、私に影響力があるなら・・。
     その権限が与えられるなら ・・。
 と想定して、できること、やりたいことを、近未来フィクションの形で書いてみました。
 よりご理解いただける方法を、と考えてこの形にしたのですが、そのために余分な部分が付いてしまって、規定のモデア用紙10枚以内という量を大幅に上回ってしまいました。長文のため読み疲れするかもしれませんが、拡大解釈して表裏を使って制限内ということで、ご勘弁ください。
 主人公は当社施工部の現場担当チーフです。インスタント作家の文章ですから、稚拙な表現は否めず、なかなか難解でしょうが、主人公になったつもりで、どうか、私の主張する世界を体験してみてください。

    平成 6 年 1 月 31 日
    技術本部 江庭 和久
   
   
                恵庭和久氏の1日
                 A day…, Mr.Work Anywhere.

これは、平成6年ですから、1994年、今から30年ほどの昔。
私が空調施工会社の技術本部に在籍時、社内の施工部門の人達の大変さ、現場に従事する人達が如何に現場に拘束されるか、肉体的だけでなく精神的にも、を痛感し、解決できる方策はあるのかと考えて、当時、公募された社内懸賞論文にフィクション仕立てで応じたものです。
日本空調株式会社はもちろん仮名です。実在していたら謝罪いたします。
その後、私は退職・独立したので、施工会社の内部事情、同業会社の各事情も、直接的な情報は得られなくなり、建設業界における合理化の真の実情は知れなくなりましたが、論文のように進化していて欲しいと思います。
今でも通用するアイデアがあれば良いな!と思い、在庫の奥から引っぱり出してきて投稿しました。
現時点では、現場単位に置く「AI現場代人」でしょうか。

タイトルとURLをコピーしました