空調エンジニア、そのとき(7)

空気調和

 「ところで、・・・」と、斉藤君は話を続けた。「明日、モデア・クラブのボランティア部の大里氏と服部氏が息子さん達とトラックで見えて、廃材の中から再利用可能な物を持ち帰る予定になっています。それで、私も明日は出勤することにしています。」
 これを聞いて、にわかに私も明日予定があるのを思い出した。鞄の底にあったプライベートな行事しか記録しなくなった手帳をひっぱり出し、明日の休日の予定を見る。「牛久沼、午前10時、前田氏と。」の記載事項が目に飛び込む。
 ”いけね~! 明日は、私もボランティアの予定だった。”
 「わかった。彼らは営業部と総務部の事務屋だから、工具の使い方もままならないと思うから、悪いけど、少し手伝ってやってくれ!」
 明日、彼等は休日を利用して、改修現場で出る廃材からボランティアに利用する機材を調達し、倉庫に一時納めるのであろう。倉庫は、幕張の本社施工技術センターの一画をボランティア部が借り受けている。
 私は、斉藤君との電話を切り、手帳に記載されている前田氏の連絡先に電話を掛ける。
 電話がつながる。
 「前田さん? 悪い!実は、明日行けなくなった。・・・」
 事情を説明し、欠席を詫びた。彼は一人で出向くと言ってくれた。
 彼は、同業者の朝日空調株式会社の社員で、当社モデア・クラブのボランティア活動に賛同し、一緒に活動する仲間である。彼以外にも、建築・設備業界の多くの社外賛同者が参加してくれている。

当社がボランティア活動を始めたのは、平成不況末期の緊急対応処置で求めたダクト・配管の加工場兼資材倉庫の場所が牛久沼岸で、倉庫の管理担当者が沼水の汚れに気づき、浄水策として、現場で余ったポンプによる浄化を始めたのがきっかけで、ここの浄化活動は、現在でも継続されており、明日、私が行く予定とした現場である。今では、ここに当社の各種試験・実験場を作り、電力会社の協力もあって、試験・実験で生まれる余剰動力等を利用して浄化運動を継続している。
 牛久沼浄化で始まった当社のボランティア活動は、その人の職業とは関連の無いところで奉仕という一般的なものとは少し違い、専門技術を活用した方が効果的という考えから、休日に保育園や老人ホーム等の私立の福祉施設の空調設備や衛生設備のメンテナンスや修理改修を自ら手弁当で行うものである。活動に必要な機材は現場で生まれる廃材等を利用しているが、それでも費用はかかるため、その後、モデア・クラブの活動部として申請し認められ、協力者の傷害保険等の活動費を捻出している。この評判は業界の内外に広まり、業界内では寄付や協力の申込、市町村からは活動依頼が相次ぎ、これ1点を評価し入社しようという学生も現れ、間接的な企業イメージアップに貢献している。
 過去には、一現場終えた時には ”完成した~ ”と、一般の会社業務では味わえない感慨を覚えたものである。しかし、これは現場進行中に要する肉体的精神的負担と裏腹なものであって、3K、4Kといわれる建設作業の象徴的なことでもあった。当社のこれまでの改革はこのようなものからの脱却であり、それが奏功してここまでになった。そのため、業務上では完成時のあの感慨があまり得られなくなってしまったが、それは捨てて良いものだと思う。仕事上でそのようなものを求めようとすると、必ず、個人生活での犠牲を必要とし、幸福の足し算では負けていると思う。
 しかし、今は、あの感慨は、趣味の世界であるボランティア活動で得ることができる。

 窓の外にたそがれが漂い始め、短い冬の一日が終わろうとしている。
 一応、数日間のフリータイムを確保した。また、その間、何か行うべき作業が発生しても、今のシステムのおかげで、そのほとんどを、病院、家庭に居て処理できるのである。
 私と妻とどちらが看病に臨むかは決めていないが、全身をプライベート側に置ける。テーブルに拡げた道具を片づけ、食堂を出る。心なしか、廊下から階段、ロビーと、目に写る空気の流れがゆったりとしている。鼓動も平常時に戻ったようで動悸を感じない。
 社会人だから、生計を立てるために仕事の遂行義務という拘束はあるけれど、やはり、一番大事なものは個人の生活であり、家庭、家族なのだから。

タイトルとURLをコピーしました