空調エンジニア、そのとき(4)

空気調和

 約1時間のパワーランチが終わった。加藤氏と再会を約束して、晴海の現場に向かうため別れる。東京ホテルを出て銀座方面に向かう。途中、広場のベンチに腰掛けて、家に電話をかける。つい数年前までは、会社に電話を入れていたのだが、今では自宅が私の情報ステーションになっているのだから、時代の流れを感じる。5回のコールで妻が出る。てきぱきと朝から入った連絡を私に伝え、これらの内容は全てターミナルに打ち込んだことと、緊急性はないと判断したので連絡は取らなかったと語った。妻は既にこの仕事に充分に慣れてしまったようである。電話を切り、地下鉄に乗り込むため、有楽町線有楽町駅まで歩く。街は近づくクリスマスに向け飾り付けが始まっており、夜の華やぎを感じさせる。地下へ潜り、地下鉄に乗車する。豊洲で降りる。現場へはここからタクシーに乗ることになる。地上にあがったところで携帯電話にコールがあった。電話を受ける。妻からだった。
「あなた!・・。警察から、和樹が自転車で交通事故に巻き込まれたって、連絡があって、私、今から病院に向かうわ。」
その言葉が飛び込んできた瞬間から、私の頭は真っ白になってしまった。
「それで!・・」
私は周りのことも忘れて怒鳴ってしまった。
「一応、命には別状がないとは言われたわ。病院は大野緊急病院だって。あなた、どうする?」
こちらも一応安堵して、なぜこの時間に?と聞こうとしたが、今は期末テストの期間であることを思い出した。大野緊急病院は比較的自宅に近い。
「よし、私もすぐ行く。」
電話を切り、再び地下鉄に乗る。乗換駅を早足で経由し、一駅毎の停車、扉の開閉に焦燥感を募らせながら、到着駅を待つ。けがの程度を聞き忘れた。気がついて、舌打ちをしたところで、目的の駅に着いた。駅前のタクシー乗り場に走り、行列に並ぶ。足は自然と上下に足踏みしている。自分の番が来てタクシーに乗り病院に着く。外来窓口で居場所を聞く。既に病室に入っているとのこと、病室へ急ぐ。廊下で妻が待っていた。遠くからは、比較的明るい顔のように見える。少し、安堵・・。
近づくと、妻が早口でまくしたてる。
「あなた! 軽いわ、左腕上腕部の骨折だけよ、単純骨折だから2週間もすれば退院できるわ。車に接触されて、転倒して、その転倒の仕方が悪くって骨折したんだって。ちょうどそこへパトカーが来て、すぐ救急車を呼んでくれたんだって。今は鎮静剤を打たれて眠っているわよ。」
 なにが骨折が軽いんだと、妻の顔を見ながら心で毒づいたものの、やはり、安堵の気持ちの方が強かった。
 そっと病室に入り、息子の顔をうかがう。苦痛を感じていないような寝顔。病室を出て、廊下のベンチに座る。張り詰めていた緊張が解け、倦怠感が全身を襲う。しかし、少し頭を打っているようなので、万全を期して、明日1日かけて検査する予定とのこと。まだ不安は残る。
 異常が発見されなくても、2~3日は近くに居てやりたい。体を空ける工夫を試みよう。現場と連絡を取るために病院内の食堂に入る。食間の時間帯なので、お茶を採っている人が数人いるだけだ。テーブルに着いて、サブノートパソコンと電話をセットし、回線を開き本店ネットワークと接続、自分のメイルボックスを確認する。メイルボックスへの連絡者のために、在宅事務所が一時不在である旨の妻のメッセージだけが入っていた。つぎに、自分のスケジュールボックスに入る。今日の午後の現場立ち寄りを[私用外出]と修正する。現場に電話をかける。サブで現場常駐の吉田君が出る。午後の現場への立ち寄りは、私用で中止した旨を伝え、現場の現況を聞いた。吉田君からは、建築は概ね順調に推移しており、当社担当の空調設備工事についても、施工計画通りであること、新しく直面した技術的問題もなく、私が月毎に渡している定期指導書の範囲内で大過なく動いているとのこと。電話を切る。今日は金曜日、土日は休みなので来週月曜日のスケジュールを確認する。朝9時にもう一つの現場である田町の商用テナントビル「アペックス・センター」に入ることになっている。ここは改修工事で、現場常駐のサブは斉藤君、この8月子会社から上がってきたばかりの新人6年生であるが、ここの工事内容は平易で、しかも、協力会社に当社の子会社を付けてあるので、問題なく完成に至るだろう。
 この子会社には冷媒配管工事を請け負わせているが、名を株式会社アルテックスという。当社で購入する機器、機材を一手に仲介する総合資材供給会社として、これまでの業務課を発展させる形で誕生したが、他の空調施工会社への供給までも引き受けようと、ある時期、親会社側に負担を強いる形(価格勝負に出るため、親会社への供給価格を高めに設定しての赤字消し)でシェア拡大を図った。その結果、業界内の供給資材の価格調整という戦略(親会社全体のまたは個々の物件の利益出し等、バッファとしての役割)の一端を担うにまで成長してきている。また、メーカーと施工会社の中間的位置づけを重宝され、マルチ型エアコン、いわゆる、ビルマルの冷媒配管工事を引き受けるようになり、また、設計も容易にこなす技術力を持つことから、中小規模の物件を単独で受注するまでに至っている。世の分散空調の傾向に乗り、今、隆盛の勢いにある。
 子会社化は、業務のそれぞれの部分で無駄を省き、贅肉を取り、効率を上げるために積極的に検討された。発案者による設立を基本とし、計画書を求め、マーケット規模、事業の内容、適正事業規模、採算性等を審査し、実現性の高いものに認可を与え、さらに評価の高いものには当社員の出向者協力も認めた。資本投資も50~100%と内容規模により幅を持たせている。さきの「アルテックス」と同時期に子会社化しているのに、設備設計事務所の株式会社「サークス」がある。建築の国際的自由化で設計責任が重くなり、詳細かつ具体的部分にまで仕様を要求されるようになったため実施設計を専門でこなす機関が必要になった。これまでの設計事務所がここまで担おうと試みたが、多くは基本設計分野にとどまった。重責任化に応じて設計料も上昇したため、多くのゼネコン、サブコンの設計部門が独立、分社化した。株式会社サークスもその流れに乗り生まれた。
 当社の子会社となっているのは、数の上では施工そのものを担当する会社が多い。施工担当の主管技師レベルになれば、宣言者に子会社設立を許可しているためで、物件処理、利益生み出し、人材確保等への真剣度が構造化するという会社側のメリットのためである。
 事業家となり増収が期待できるということで、一時期、多くの人が独立したが、多忙なため新技術を吸収する余裕がなく、新技術を必要とする先端物件は、どうしても常に教育を充分に受けている本社側の担当となってしまうため、技術者としての自覚が強い人は再び本社側に還ってきた。
 子会社化は、社員の高齢化による人材再配置と活性化に有効な手段であることから、現在でも積極的に取り組んでおり、現場事務所の設営等を担当する現在の施設課の業務の専門会社や現在の品質管理課の担当業務である試運転調整や各種能力検査を専門に代行する会社などが挙がっている。

 現場に電話する。斉藤君が出て、現状が報告される。ここも大過なく進行していると判断し、来週月曜日の現場への出向きを中止する可能性を告げる。斉藤君からは、来月の工程部分で斉藤君が初体験となる作業について、施工計画書から今日中に抽出し明日にもメイルボックスに登録するので来月の定期指導書に織り込んで下さいと依頼があった。
 電話をかけながら、”これで、今から来週月曜日までの私の体はフリーになった。さらに数日仕事に向かえなくても実損が伴うようなものは無いはずだ。”と考えていた。

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